水平社と衡平社
2007-03-19


>「衡平社」は朝鮮の被差別民が政治犯から生まれたという考えを持っているため、日本の「水平社」とは交流がないという。>

 金永大『朝鮮の被差別民衆』(解放出版社 1992)の271〜290頁に、翻訳者らによる補遺「<資料>衡平社と水平社の連帯に関する新聞報道」があります。  水平社と衡平社とは、かなり交流があったようです。

>白丁は存在し、現在でも残る日本時代の戸籍には職業が記載されていたといい、食肉業に携わる人は「屠漢」などとの記載もあったようで、今でも役所によっては残っているとされる。したがって、調べればわかるようだ。>

 これは疑問です。  甲午改革後の建陽元年(1896)、「戸口調査規則」「戸口調査細則」が布告され、戸籍が調えられました。  その戸籍には確かに「職業」欄があります。私の見た例では「幼学」とあります。ここでいう「職業」とは身分のことで、現代で使う職業とは違います。  次の隆熙3年(1909)の「民籍法」における戸籍には、「職業」欄はありません。  日本統治時代の大正11年(1922)の「朝鮮戸籍令」の戸籍にも、「職業」欄はありません。

>水平社と衡平社とは交流があったというか、水平社が活動家を派遣してオルグして、衡平社の結成を後押ししたのではと思います。>

 水平社運動の歴史は、かなり詳しく調べられています。果たして水平社の後押しで衡平社が結成されたのかどうか。  もしあったなら、朝鮮に派遣された水平社の人物の具体名が明らかになっているはずですが、出てきません。衡平社結成後の交流なら、名前が判明します。


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