韓国の戒厳令騒動は、まだまだ余波が続くようです。 大統領の弾劾訴追案が国会を通過しましたが、これからは憲法裁判所(憲裁)が認めるのかどうか、ですね。 憲裁の裁判官9名中6名が賛成すれば弾劾が成立するのですが、欠員が3名いて、現在6名だそうです。 ですから一人でも反対すれば弾劾は否定されます。 微妙なところですね。 まあそんなことは関係なく、拙ブログを続けます。
韓国の高齢者問題を扱うニュースを見ていると、「〓〓〓」という言葉が時おり出てきます。 [URL] このニュースではタイトルに出てきています。 これは漢字で「高麗葬」と書くもので、日本語では「姥捨て山」という意味です。 韓国はかつて自らを“孝道(親孝行のこと)の国であり、親を捨てるなんてあり得ない”と言っていたものでした。 しかし近年韓国も高齢化社会を迎えて、そんなことも言っていられなくなったようで、ニュースに出てくるようになりました。
ところで日本の「姥捨て山」が、韓国ではなぜ「高麗葬」なのか。 ちょっと調べてみました。 〓〓〓〓(百科事典)にあった説明が一番まとまっているようなので、これを訳してみました。
〓〓〓(高麗葬)
高麗時代に年取った親を他の場所に捨てる風習があったという説話。 その説話は、数百年前に作られたものと推定される。 高麗葬という用語がその説話と結合したのは19世紀末から植民地時代にかけての時期で、このために大日本帝国の歴史歪曲説とか単純な流言飛語が広がったとかの、様々な説が出回っている。 学界で主流とされている文献学上の説は、仏典に出てくる逸話や中国の孝子伝に出てくる逸話が朝鮮に入ってきて、高麗時代を背景に現地化されて、全国に広まったというものである。
高麗葬に似たものとしては、日本では江戸時代に「姥捨て山」といって、年を取り病気になった人を背負子に負い山に行って捨てたという説話が世に知られている。 この説話を元に作られた映画が、カンヌ映画祭のパラムドール賞受賞作である「楢山節考」である。 これ以外にも、ヨーロッパ、インド、東南アジア、サハラ以南のアフリカ等でも、これと同じような説話が出回っているので、この老人遺棄説話はユーラシア―アフリカ全域に広がっている共通の説話と見ることができる。 現在は考古学的調査や文献学的調査などを通して、その話は高麗葬と同じようにほとんど実存しなかったものであって、児童教育を目的として作られた民衆説話であると見られている。
特に韓国の場合、古代の文献を詳細に見ても、飢饉や戦争などの特殊な状況ではない平時にこのような行為を風習としていたという記録は全くないのであって、現在関係する研究者たちはこの風習があったという可能性を否定している。 実存しない風習を語っているに過ぎないというのが、現代の韓国歴史学会の定説である。
そのために説話として存在していた話が植民地時代に朝鮮の生徒たちを教育するために制作された朝鮮の童話を集めた童話集に採録され、説話だったものがある時に民衆たちに歴史的事実として受け入れられたと見られている。 すなわち説話であり童話だったものが、ある瞬間に歴史的事実にすり替わって民衆の意識の中に根を下ろしたのである。
もちろん生存の危険な極限の状況で親を捨てることがあるにはあったが、風習と呼べるものではない。 朝鮮時代でも庚申(1670〜71)飢饉の時期に、親を捨てて逃げた男性についての記録があるが、これは単発的な事件であり、風習ではなかった。 朝鮮朝廷は父母や祖父母を捨てたり虐待した者に対して綱常罪(三綱五常に反する罪)を問うて極刑に処し、このような事件が発生した地域の有力者をはじめ、その地域を管轄する地方官を厳しく懲戒し、地域の行政等級を下げる等の強力な措置を取ったりした。
セコメントをする