コメント(全10件)
6〓10件を表示
辻本 ― 2016-03-01 20:18
>我が家は江戸時代から代々、地方の小規模自作農だったが、当然、苗字はあった。
それは苗字ではなく、屋号あるいは家名ですね。江戸時代の庶民は特に許されない限り苗字はありません。その代り屋号・家名があります。
>当時の朝鮮社会では女性にはそもそも名乗る権利自体がなかった
これは権利ではなく、名乗る必要がなかったということでしょう。
女性でも名乗る必要のある職業では名乗っています。例えば、妓生。しかしこれは日本の源氏名というものですかねえ。
なみ ― 2016-03-02 05:34
私の町には慶長年代の検地帳が残されています。 田畠の質、場所、大きさ、収穫量、そして所有者名が書かれています(又右衛門、弥平など)。 興味深いことに田畑の地名(ばば、はら、おかなど)がのちに転じて苗字となった例が沢山あります(馬場、原、岡など)。 過去帳に使われている名前はこういった地名からとったものがあります。 それを苗字だと思われていますか? この例は私の町のことですが、日本のことなる土地によって多少違いがあるかもしれません。
辻本さんは史料、引用先などをよくこまめに掲載されています。 論点をずらしウィキペディアを引用するのは中学生の宿題ぐらいまでにしておいて、このテーマを深く考察しようと思われているのであり、李朝の一般女性に名前があったと思われているのであれば、そういった史料をご自身で調べるのが建設的だと思います。 私たち読者を啓蒙して下さることお願いします。
ボルグ ― 2016-03-03 20:09
日本の屋号の話と李朝の女性の名前の話が混ざっていて、異なる国・文化・制度・ロジックの話を一緒にするのはどうかと思いますが…
話を本筋に戻すと、李朝の女性にも場合によっては確かに通り名や綽名くらいはあって、近しい間では、それで呼び合っていた可能性はあるかもね…
でも、それは記録にも残りづらい「例外」であって、そもそもあったかどうかすらわからない。だから公的な名前があったとはとても言えない…ということではないでしょうか。
ただ蔑視的観点から女性に名前がなかったのならばわかりますが、「名乗る必要がなかった」というところに関しては、違和感のあるところではあります。(まあしょせん現代人の観点なのですが)
古代社会における古代人の生活では女性に名前はないのが世界的スタンダードで、例えば古代日本でもそうだったということでしょうか?
辻本 ― 2016-03-03 20:35
>それで呼び合っていた可能性はあるかもね…
>だから公的な名前があったとはとても言えない…ということではないでしょうか。
>古代社会における古代人の生活では女性に名前はないのが世界的スタンダードで
こう論じる根拠となった資料を提示してください。
まるで、その場その場の感覚だけで言っておられるように思われますので。
辻本 ― 2016-03-04 18:10
>辻本大先生様が盲信している「日本の江戸時代に庶民に苗字はありません」という愚かな俗説と同様にね(哄笑
韓国人でも日本人でも、歴史資料を検証をせずに居丈高に言う人が結構多いですねえ。
セ記事を書く