コメント(全10件)
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無名氏 ― 2015-02-24 19:29
その論文は正確には学術論文ではなく「報告書」なので、該当導入部分の記述が厳密ではなかったようです。そしてその部分は水野直樹教授の執筆がないようです。実際、尹東柱判決文の発表会当時に水野直樹教授は朝鮮語の作詩については取り上げず「徴兵制関連発言」を言及しました。
京都大学の水野直樹教授の朝鮮語に関する論旨は日中戦争以後の朝鮮総督府の政策方向についてのことで、「事実」として朝鮮語禁止を言うのとはちょっと違うと思います。
朝鮮語の取扱いについては、朝鮮総督府の初期およびそれ以前の韓国統監府時代からずっと争点になっています。 外地で国家共用語として日本語の普及と現地語の現実的必要性が衝突するのです。
同志社コリア研究センターのwebsiteの掲載文と《毎日新聞》大阪朝刊の記事に関しては同centreと太田修教授にお問い合わせしておきました。回答するかどうかは確信することができないが返事が到着するとその内容を必ずお知らせいたします。
無名氏 ― 2015-02-25 22:33
同志社大学の太田修教授の返信を受けました。
その内容は関連記事にcommentします。
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(未記入) ― 2016-12-07 22:55
拘留中に下鴨警察署で尹東柱が刑事の前で自分の詩を朗読させられていたといういとこの証言があります。このことは、尹の朝鮮語の詩原稿が証拠物件としての押収され、特別視されていたことを意味します。朝鮮語は制度上はどうあれ、若者が自発的に書いたものは全て嫌疑がかけられていたのです。
辻本 ― 2016-12-08 05:33
治安維持法違反ですから、朝鮮語であれ何であれ、「自発的に書いた」ものは押収されますね。
木下 ― 2017-02-19 15:27
私の母方の祖父は戦前師範学校を出て、朝鮮半島の学校で教師をしていました。祖母や母も一緒に朝鮮で生活していました。祖父母や母の話を聞くと、日本人町の中では日本語だけでしたが、日本人町の外では、ハングルが普通に話されていたそうです。私の母は、子どもだったので、いち早くハングルを覚え、祖母に通訳をしていたそうです。そして、敗戦前に家族で日本に帰るときには、みんなハングルがペラペラになっていました。
つまり、日常生活において、日本語が強制されていたとか、朝鮮語の使用が禁止されていたというのは完全に間違っています。
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