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マイマイ ― 2010-03-20 10:34
辻本様、コメントありがとうございました。最近になって「自由に使える時間」がそれほど多く残されていないことに気がつき、自分の考えを表現する場を探し始め、このブログに辿りつきました。決して後口のいいものではないのですが、多岐にわたる知識の量に感服して、刺激を受けています。私でもコメントできそうな内容がだんだん残り少なくなっていますし、プライベートで忙しくなる可能性もありますが、できるだけ多く投稿させていただきます。ちょっと早目の老い支度です。
  で、本題に入ります。「第37題間違いの多い本」まで読ませてもらいました。見識不足で咀嚼できない箇所もありますが、だいたい納得できます。ただ「一世、二世」という表現について個人的な意見を書きます。
>母国生まれが一世で、二世以降が日本生まれである。母国生まれの在日二世というのは明らかな誤りであるが、こんな間違いに気付かない周囲の人も問題がある。>
  出自を語るときは「もと在日コリアン三世」と称しています。現在は日本人です。母国生まれが「一世」となると、父(渡日時3歳?)も母(渡日時6歳?)も「一世」になり私は「二世」になります。しかし父は渡日までの故郷での記憶はほとんどなく、母語であった朝鮮語も失っていることもあって「二世」と称していました。私も「三世」と称すると、多くを語らなくても相手は「渡日の意思を持った人を祖父」と認識してくれるので気に入っています。つまり親が渡日を決定したととられる誤解を避けるためです。
  「二.五世」という表現を見たことがありますが、おかしな数字ですが気持ちはわかります。多分両親が「一世」「二世」と別れるか、基準にする親が幼いころに渡日しているので「一世」とはいいにくい、しかし厳密にいへば「二世」でもないので苦肉の策として「一・五世」とした結果ではないかと思います。
  以前から「母国生まれを一世」とすることに疑問を抱き、渡日への意思を決定した人(たいていは大人)または母語としての朝鮮語を保持できた人を「一世」と称するほうがいいのではないかと思ってきました。さらにいえば、高齢の親を伴って渡日したケースはほとんどないので、はっきり「一世」を一世代にするために「渡日の意思を決定した人およびその配偶者」と限定した方がいいと思っています。
  作家高史明氏は日本生まれです。父は母親に抱かれて渡日しています。作家金達寿氏が生前どう表現されていたか知りませんが、11歳ぐらいの渡日で朝鮮語を話せましたが、渡日の意思を持った人は父親です。こういう人たちをみな「二世」と呼び、若い世代にもこのような認識のもとに「四世」「五世」と称した方が本人を理解する手立てになるように思っています。
  「母国生まれが一世」を厳密にあてはめると、父系、母系と遡っていくと「一世」が二世代になるケースが出てきます。どうせ使うなら出生地よりも、誰がどの年代に渡日の意思を持ったかという情報の方に重きをおきたいところです。
 このあたりの同意が広くいきわたれば、日常生活で「父は○世」「母は○世」という表現は便利です。
 
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